妾地に横たわるれば、
我が過ち
汝が胸を惑わすべからず。
妾を,な忘れそ、
我が定め,な覚えそ。
以下 原文
When I am laid in the earth,
May my wrongs create
No trouble in thy breast;
Remember me, but ah!
Forget my fate.
--- libretto by Nahum Tate (1652-1715), composed by Henry Purcell (1659-1695)
パーセルの有名なオペラ『ディドとエネアス』。バロックオペラの最高傑作の一つである。この中の「ディドのlament(嘆き)」と呼ばれるアリアは大変有名でバロックオペラの歌手ならば一度は歌いたい,叙情に溢れる曲だ。愛し合うディドとエネアスが魔女によって引き裂かれ,ディドは去って行くエネアスに向かってこの曲を歌い,悲しみに暮れて死んでしまう。運命の悪戯に抗えずに引き裂かれる悲しみをディドは
Remember me (私を忘れないで)
と謳いつつも,
forget my fate (私の運命は忘れて)
と自分自身は思い出してほしいが,自分の身の上は忘れてほしいという,愛する人への記憶のあり方を懇願している。女心,というか,「愛はかく美しくあれ」を望む姿に恋愛至上主義のストーリーが見られる。アリア重視のバロックオペラであるからこそ,現代にも訴えかけられる深い感性が聞こえてくる。
訳文はバロックオペラにふさわしく,古文の文体を採用してみた。とくに remember me と foget my fate はともに 「な...そ」(禁止表現)の手法で,な忘れそ,な覚えそ,としてみた。「妾をな忘れそ」=「私を忘れないで」。古語で「覚ゆ」は「思い出して語る」の意味なので,「我が定めな覚えそ」は「私の運命を思い出して語らないで」という意味になる。
この曲には名演奏が多いが,異端ではあるが世界的に有名なのが Klaus Nomi が録音したものだ。人気が絶頂期になった Nomi だが,すで AIDS に罹患し体調が絶不調,声も医療行為によってどうにか保たれている状態。そんな行く末を察知したかのように,Klaus Nomi はこの曲を選んで歌うのである。彼の発声の Remember me! はあまりにも悲しい。目の前にある確実な「死」に対峙して歌う Remember me! は壮絶すぎる。