MEMENTO MORI AT CARPE DIEM

ποιέω καί ἑρμηνεύω

Die See, dran keiner ist. (誰もいない海)

Nun kommt allein Herbst,          |XX|XX|X|

See, dran keiner ist,                        |XX|XX|X|

Man geht an mir vorbei,              |XX|XX|XX|

Als ob er fremder sei.                     |XX|XX|XX|

Vergess’ ich nie dich,                      |XX|XX|X|

Der See versprach ich,                  |XX|XX|X|

Ich nie sterben werde,                    |XX|XX|XX|

Wenn ich auch schwer leide.    |XX|XX|XX|

 

晦日の昼から久しぶりに越路吹雪の録音を聴いている。
幼い頃車の中で両親が聞いていたのですり込まれているのだ。
懐かしくなってカセットの内容をCDに再現して作ったものを聴いている。
そんな中で,忘れられない歌詞が「誰もいない海」だ。
第一連から尋常でない心が見て取れる。

  今はもう秋 誰もいない海
  知らん顔して 人がゆきすぎても
  私は忘れない 海に約束したから
  つらくても つらくても 死にはしないと

これをドイツ語にしたらどうなるか,父の墓参りをして思いついた。
どうにか苦労して韻を合わせることはできた。
リズムは Jambus と Trochäuchs が混濁してしまったが,Dimeter にはなっている。

越路吹雪の歌はこういう恋の歌が多い。昔の歌謡曲シャンソンだからといえばその通りだが,歌詞の情緒がとても好きだ。行間に込められたものが聴く者,読む者の人生の抽斗から取り出される思いがして,切ないがとても感傷的に美しい。