MEMENTO MORI AT CARPE DIEM

ποιέω καί ἑρμηνεύω

運命論者に物申す

num oportet nos parere fortunae?
posse, non posse regit manus animae.

 

Müssen wir dem Schicksal gehorchen?
Können oder nicht, das soll Seele beherrschen.

我々は運命に従わなくてはならないのか?
出来る出来ないは魂の手が支配するもの。

 

 

【解題】
ラテン語で書いてみた。韻を合わせてある。
ドイツ語訳では Seele としたが,元のラテン語では namus amimae (心の手)とラテン語らしい表現にしてみた。つまり心が行為をするのであるから,その行為を成すための手が生えているという擬人化である。
運命論者は自分がするしないに起因せずにそれが運命だと決めつけるが,自分でできないと思ってしまえば出来ることでも出来ない自分に定めらてしまう。
やりたいことがあって実行する決意が揺らいでいるときに,少しでも出来ることから着手してなし崩し的に実行するのはそれ程リスクを伴わない。
精神衛生上よくないのは,したいことを何癖つけて我慢していること。我慢して良い結果が生まれた試しがあるだろうか?端からは人生の成功者に見えても,本人が諦念している人は自分を嘆いている。かの森鷗外だって軍医総監になり,翻訳をし,作品を書いて作家として成功したが,本人は「空っぽ」と自嘲していたという。軍人,官吏の森林太郎の立場に諦念してやりたいことが出来なかったからだろう。