MEMENTO MORI AT CARPE DIEM

ποιέω καί ἑρμηνεύω

不死鳥の如く炎より生まれぬ——阿呆物語の口絵

冒険者
ジンプリチスムス

余は不死鳥の如く炎より生まれぬ。
宙を飛翔せるが,何も失われぬ。
余は海を渡り歩き,其処彼処(そこかしこ)陸(くが)を彷徨い行かん。
かかる周りに群がることどもを余は知らしめん。
悲しませるもの数多(あまた)あれど,楽しませるもの希(まれ)なり。
其は如何なりき?余が此の書物へしかと記したり。
これもて読者諸氏,余の如くさあ為すべし,
愚を遠ざけ,安寧に生くべし。

 

 

Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen (1622-1676)の有名な小説で,現在でも唯一読み継がれているドイツバロック小説『阿呆物語』の表紙の文章を訳してみた。以下原文。

 

Abenteuerlicher Simplicismus

Ich ward gleich wie Phoenix durchs Feuer geboren.
Ich flog durch die Lüfte? ward doch nicht verloren.
Ich wandert im waszer ich streifte zu Land.
In solchem Umschwermen macht ich mir bekannt
was oft mich bertrübet und selten ergetzet.
was war das? Ich habs in dies Buch hier gesetzet.
Damit sich der Leser gleich wie ich itzt thu,
entferne der Torheit, und Lebe in Ruh.

 

表紙の印刷ではあたかも散文のように,ベタで植字されているが,17世紀の文学で韻を意識しないなどほぼあり得ない。確かにリズムは整っていない。しかし韻は a-b-c-d と平韻になっている。よって訳文もそれに従った。

著者の Grimmelshausen は10歳で軍隊に誘拐され,以後30年戦争を兵士として遍歴した。30年戦争の終結と共に行政官として働いた。この『阿呆物語』は一見ピカレスク小説のようにみえるが,実は著者本人の理不尽な環境を生き抜いた冒険物語であり,読むにつれて寓話的になりドイツの『ロビンソンクルーソー』になっていく。

長い長い物語——岩波文庫で3巻ある——をこの表紙はたった8行で表現している。見事だ。

 

「間抜けづらして,ドジ踏んだら今度こそ尻っぺた腫れ上がるほどぶん殴るぞ!」

「なりばかり大きくなりやがって…」

「この助平小僧!お前と乳繰り合ったこの売女もろともお前を捻り殺してやる。」

本文は極めて粗野な言葉が使われて,10歳の時に意志に反して掠われて軍人として従軍しなくてはならなかった著者の悲哀が直接的にわかる。暴力を受けていない者が暴力を記すのとは違い,日常的に殴られ,罵倒され,生きるために略奪し,女を抱く毎日。人権などという概念は全く存在しない17世紀に,人として生きることに憧れながら鬼畜のような生活を余儀なくされた主人公の Bildungsroman である。様々な経験をして Simplicismus は最後に人から遠ざかり隠者の生活を選ぶ。

「さらば,人の世よ!お前は信頼出来ず,お前に期待出来ることは一つとしてない。お前の宿では過ぎ去ったものは永久に滅び去り,眼前にあるものは刻々と亡びつづけ,来るべきものはついに来たらず,ゆるぎなく見えるものも崩れ,砕ける日がないと見えるものも砕け散り,永遠につづくと見えるものも亡び,こうしてお前は死者の中の死者であって,私たちはお前の宿で百年の齢を重ねても一時間の生命をも生きることができない。」

——なんたる壮絶な嘆き,諦念の境地であろうか。生きづらい世の中をしたたかに生き抜いた主人公だからこそ,最後は隠遁する。今,様々な事情で生きづらいと苦しんでいる人々に,Simplicismus の物語は勇気を与える,否共感を与えるかもしれない。ピカレスク小説的悪行の数々は,善悪を意識して行為しているのではなく,地獄のような世の中で少しでも光明を見いだして生きるためのスパイスなのである。

著者は非常に教養があり,本文にはセネカの言葉やミトリダーテス王の話,古代羅馬の皇帝たち,古代希臘の哲人たちのエピソードが数多く語られる。そうした教養を以て有事の智恵と役立てる主人公。Sinplicismus の前には "Parzival" があり,Simplicismus の後には "Wilhelm Meister" が続く,とドイツ文学者の手塚富雄は考えたが,まさにその通りだと思う。

 

原文を掲げたが,文法も現代の標準ドイツ語とは異なるし,正書法も定まっていない17世紀のドイツ語ゆえ,以下に標準ドイツ語に直したものを掲載しておこう。

 

Ich wurde wie Phönix durchs Feuer geboren.
Ich flog durch die Lüfte? Wurde doch nicht verloren.
Ich wandert im Wasser, ich streifte durchs Land.
In solchem Umschwärmen machte ich mir bekannt,
Was oft mich betrübt und selten ergötzt.
Was war das? Ich hab’s in dieses Buch gesetzt.
Damit sich der Leser wie ich jetzt tu,
entfern die Torheit, und leb in Ruh.